2006年7月3日。中田英寿からの“引退メッセージ”を覚えているか?

2006年7月3日。中田英寿からの“引退メッセージ”を覚えているか?

日本サッカー界に衝撃が走った2006年7月3日。中田英寿氏が自身のブログで現役引退を発表した日です。今回は引退メッセージの全文を振り返ります。


プロフィール

Getty logo

2006年に電撃引退をした中田英寿氏。まずは彼のプロフィール(プレー歴)を簡単に振り返っていきます。

【プロフィール】
名前:中田英寿
愛称:ヒデ
生年月日:1977年1月22日(41歳)
出身地:山梨県甲府市
身長:175cm
体重:72kg
ポジション:MF
利き足:右足

【所属歴】
1985–1988 北新サッカースポーツ少年団
1989–1991 甲府北中学校
1992–1994 韮崎高校
1995–1998 ベルマーレ平塚
1998–2000 ペルージャ
2000–2001 ASローマ
2001–2004 パルマ
2004 ボローニャ
2004–2006 フィオレンティーナ
2005–2006 ボルトン

育成年代の頃から常に「年代別の日本代表」に選出され続けた中田英寿氏は韮崎高校(山梨県)のときにJリーグに加盟する全12クラブ(当時)のうち11クラブからオファーを受けたそうです。そして、練習に参加したうえでベルマーレ平塚に加入しました。

フォワードとしてプレーしていましたが、中田氏の「ゲームメイク能力」を買われ、トップ下にコンバートされました。アトランタ五輪のブラジル戦でもトップ下としてプレー。「マイアミの軌跡」と呼ばれた勝利に大きく貢献しました。

1998年のフランスW杯でも弱冠21歳ながら、日本代表の核としてグループリーグ全試合に出場。全敗で予選敗退となりましたがトップ下として躍動しました。

クラブでは1998年にベルマーレ平塚からイタリアのペルージャに移籍し、すぐにチームの中心選手として活躍すると、その後、セリエAの名門ローマに移籍。2000-01シーズンの終盤のユベントス戦ではローマの象徴選手フランチェスコ・トッティとの交代で出場し、2ゴールをあげました。中田氏のゴールでドローに持ち込んだことでローマに栄冠をもたらしました。その2ゴールは今でもイ”NAKATA伝説”としてイタリアで語り継がれています。

その後、中田氏はパルマ(2001-2004)→ボローニャ(2004)→フィオレンティーナ(2004-2006)→ボルトン(2005-2006/レンタル)に所属しました。

そして、2006年のドイツW杯後の7月3日にブログで引退を発表。最終試合となったブラジル戦ではしばらくピッチに仰向けになっていました。以下、中田英寿による“引退メッセージ”全文です。

ブログで引退を発表

■人生とは旅であり、旅とは人生である”

俺が「サッカー」という旅に出てからおよそ20年の月日が経った。
8歳の冬、寒空のもと山梨のとある小学校の校庭の片隅からその旅は始まった。

あの頃はボールを蹴ることに夢中になり
必死でゴールを決めることだけを目指した。
そして、ひたすらゲームを楽しんだ。
サッカーボールは常に傍らにあった。

この旅がこんなに長くなるとは俺自身思いも寄らなかった。
山梨の県選抜から関東選抜、U-15、U-17、ユース、そしてJリーグの一員へ。
その後、自分のサッカー人生の大半を占める欧州へ渡った。

五輪代表、日本代表へも招聘され
世界中のあらゆる場所でいくつものゲームを戦った。

サッカーはどんなときも俺の心の中心にあった。
サッカーは本当に多くのものを授けてくれた。
喜び、悲しみ、友、そして試練を与えてくれた。

もちろん平穏で楽しいことだけだったわけではない。
それ故に、与えられたことすべてが俺にとって素晴らしい“経験”となり、
“糧”となり、自分を成長させてくれた。

半年ほど前からこのドイツワールドカップを最後に
約10年間過ごしたプロサッカー界から引退しようと決めていた。

何か特別な出来事があったからではない。その理由もひとつではない。
今言えることは、プロサッカーという旅から卒業し“新たな自分”探しの旅に出たい。
そう思ったからだった。

サッカーは世界で最大のスポーツ。
それだけに、多くのファンがいて、また多くのジャーナリストがいる。
選手は多くの期待や注目を集め、そして勝利の為の責任を負う。
時には、自分には何でも出来ると錯覚するほどの賞賛を浴び
時には、自分の存在価値を全て否定させられるような批判に苛まれる。

プロになって以来、「サッカー、好きですか?」と問われても
「好きだよ」とは素直に言えない自分がいた。
責任を負って戦うことの尊さに、大きな感動を覚えながらも
子供のころに持っていたボールに対する瑞々しい感情は失われていった。

けれど、プロとして最後のゲームになった6月22日のブラジル戦の後
サッカーを愛して止まない自分が確かにいることが分かった。
自分でも予想していなかったほどに、心の底からこみ上げてきた大きな感情。

それは、傷つけないようにと胸の奥に押し込めてきたサッカーへの思い。
厚い壁を築くようにして守ってきた気持ちだった。

これまでは、周りのいろんな状況からそれを守る為
ある時はまるで感情が無いかのように無機的に、またある時には敢えて無愛想に振舞った。
しかし最後の最後、俺の心に存在した壁は崩れすべてが一気に溢れ出した。

ブラジル戦の後、最後の芝生の感触を心に刻みつつ
込み上げてきた気持ちを落ち着かせたのだが、最後にスタンドのサポーターへ
挨拶をした時、もう一度その感情が噴き上がってきた。

そして、思った。

どこの国のどんなスタジアムにもやってきて
声を嗄らし全身全霊で応援してくれたファン――。
世界各国のどのピッチにいても聞こえてきた「NAKATA」の声援――。
本当にみんながいたからこそ、10年もの長い旅を続けてこられたんだ、と…。

サッカーという旅のなかでも「日本代表」は、俺にとって特別な場所だった。

最後となるドイツでの戦いの中では、選手たち、スタッフ、そしてファンのみんなに
「俺は一体何を伝えられることが出来るのだろうか」、それだけを考えてプレーしてきた。

俺は今大会、日本代表の可能性はかなり大きいものと感じていた。
今の日本代表選手個人の技術レベルは本当に高く、その上スピードもある。
ただひとつ残念だったのは、自分たちの実力を100%出す術を知らなかったこと。
それにどうにか気づいてもらおうと俺なりに4年間やってきた。
時には励まし、時には怒鳴り、時には相手を怒らせてしまったこともあった。
だが、メンバーには最後まで上手に伝えることは出来なかった。

ワールドカップがこのような結果に終わってしまい、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
俺がこれまでサッカーを通じてみんなに何を見せられたのか、
何を感じさせられたのか、この大会の後にいろいろと考えた。
正直、俺が少しでも何かを伝えることが出来たのか…
ちょっと自信がなかった。

けれどみんなからのmailをすべて読んで
俺が伝えたかった何か、日本代表に必要だと思った何か、
それをたくさんの人が理解してくれたんだと知った。
それが分かった今、プロになってからの俺の“姿勢”は
間違っていなかったと自信を持って言える。

何も伝えられないまま代表そしてサッカーから離れる、というのは
とても辛いことだと感じていた。しかし、俺の気持ちを分かってくれている“みんな”が
きっと次の代表、Jリーグ、そして日本サッカーの将来を支えてくれると信じている。

だから今、俺は、安心して旅立つことができる。

最後にこれだけは伝えたい。

これまで抱き続けてきた“誇り”は、
これからも俺の人生の基盤になるだろうし、自信になると思う。
でもこれは、みんなからの“声”があったからこそ
守ることが出来たものだと思う。

みんなの声を胸に、誇りを失わずに生きていく。

そう思えればこそ、この先の新たな旅でどんな困難なことがあろうと
乗り越えていけると信じられる。

新しい旅はこれから始まる。

今後、プロの選手としてピッチに立つことはないけれど
サッカーをやめることは絶対にないだろう。
旅先の路地で、草むらで、小さなグラウンドで、誰かと言葉を交わす代わりに
ボールを蹴るだろう。子供の頃の瑞々しい気持ちを持って――。

これまで一緒にプレーしてきたすべての選手、関わってきてくれたすべての人々、
そして最後まで信じ応援し続けてきてくれたみんなに、心の底から一言を。

“ありがとう”
                                         ひで

日本中に衝撃が走った中田英寿氏に電撃引退。サッカーキングのサイトによればワールドサッカーキング増刊 『俺たちが愛したワールドカップWORLD CUP CHRONICLE1986-2014』のインタビューの中で引退の本当の理由をこう明かしています。

「僕にとってサッカーは人生であり、家族のようなものでもあります。楽しくてやっていたはずのサッカーを楽しめなくなってしまった。それが自分の人生に対する裏切りだと感じたんです。だから、自分に嘘をついてまで続けたくなかった」。

引退後、中田英寿氏は「TAKE ACTION FOUNDATION」を設立したり、国際サッカー評議会(IFAB)で諮問委員を務めたりしています。サッカーだけに限らず、「デサントゴルフ」のアンバサダーをしたり、日本酒の普及活動をしています。

最後は中田英寿氏のプレーを動画で振り返りましょう!

このまとめのライター

プレミアリーグ好き

関連するキーワード


日本代表 中田英寿

関連する投稿


日本サッカーの黄金世代とは?時代を彩った天才たち

日本サッカーの黄金世代とは?時代を彩った天才たち

ある特定の時期に才能に溢れた選手が多く輩出されるというのは、スポーツの世界ではよくあることです。日本サッカーにおいては、1979年前後に生まれた世代が黄金世代と呼ばれます。この世代の選手たちは日本代表としてはもちろんのこと、個人としても多くの成果を残しました、そこで今回は、黄金世代が残した実績と、代表的な選手たちについて詳しく解説します。



【伝説の試合】中田英寿が!ベッカムが!2005年世界選抜の試合が凄い

【伝説の試合】中田英寿が!ベッカムが!2005年世界選抜の試合が凄い

2005年にスマトラ沖地震のチャリティーマッチとして行われた「世界選抜vsヨーロッパ選抜」の試合を振り返ります。


中田英寿とトッティの関係性を徹底解説!不仲説についても考察します!

中田英寿とトッティの関係性を徹底解説!不仲説についても考察します!

元日本代表の中田英寿。彼が2001年に加入したセリエAの強豪「ローマ」にて出会ったのが、元イタリア代表のレジェンド・トッティです。当時そのローマにて日本人初のセリエA優勝に貢献した中田ですが、実はローマのレジェンド・トッティと不仲だったのでは…?という説があります。それらの噂を含め、今回は2人の関係性を徹底解説していきます。


長友佑都と平愛梨の公開ノロケ!?Twitterでのやりとりが話題に!

長友佑都と平愛梨の公開ノロケ!?Twitterでのやりとりが話題に!

オシドリ夫婦としても有名、長友佑都選手、平愛梨さんがTwitterで最高のやり取りをしていると話題になりました!


最新の投稿



【横浜FC】キングカズが正しい手洗い方法の動画を公開!その姿が話題

【横浜FC】キングカズが正しい手洗い方法の動画を公開!その姿が話題

新型コロナウイルスの予防には正しい手洗いが大切だと言われています。有名人が正しい手洗いの方法を動画で公開していることも多く、サッカー界からもたくさんの動画がアップされています。今回紹介するのは、横浜FCが公開した動画。その動画に出演した三浦知良選手の姿が話題になっています。


高萩洋次郎からの宿題!ボール4つの上で腕立て伏せ、できる?

高萩洋次郎からの宿題!ボール4つの上で腕立て伏せ、できる?

新型コロナウイルスの影響でサッカーのみならずさまざまなイベントが中止になってしまっています。思いっきりリフレッシュすることが難しい状況ではありますが、様々な選手が家でも楽しめるトレーニングなどを公開しています。今回紹介するのはFC東京、高萩洋次郎選手のトレーニング。ぜひチャレンジしてみてください。


【現代サッカー】特徴的な戦い方を行う監督の戦術・戦略を5つ紹介!

【現代サッカー】特徴的な戦い方を行う監督の戦術・戦略を5つ紹介!

チームの数だけ戦い方は存在します。 今回はここ数年で多用に変化するサッカーの戦い方に焦点を合わせ、特徴的な試合展開を行う監督の戦術・戦略について簡単にご紹介します。


【FC琉球】小野伸二が練習で見せた驚異的なトラップが話題!

【FC琉球】小野伸二が練習で見せた驚異的なトラップが話題!

新型コロナウイルスの影響でリーグ戦をはじめとしてJリーグの試合が中断されていますが、各チームで練習は続けられています。そんな中、FC琉球所属の小野伸二選手が見せた驚異的なトラップが話題になっています。クラブの公式アカウントがTwitterにアップした動画でチェックしてみましょう。