呼び名は「天才異端児」R.W.Sドリブル塾代表 森陰修平氏インタビュー

呼び名は「天才異端児」R.W.Sドリブル塾代表 森陰修平氏インタビュー

11月某日、埼玉県内でドリブル塾を複数展開し、全国でドリブルクリニックも 行うR.W.Sドリブル塾代表の森陰修平氏にインタビューを行った。


多くを経験し自ら学んだ小学生時代

近年、数多くのサッカースクールが全国で開校されている。そして、ゴールキーパー、ストライカーなどの特化型スクールも広まってきている。今回はそんな特化型スクールの1つ、R.W.Sドリブル塾を運営する森陰修平氏に取材を行った。

同氏は小学1年生で地元のサッカー少年団でサッカーを始め、武南ジュニアユース、武南高校を経て
ジャパンサッカーカレッジに進学。その後某サッカースクールでコーチを経て、R.W.Sを設立した。

編集部:本日はよろしくお願いします。

森陰氏:よろしくお願いします。

編集部:まずは小学生時代のサッカーにについて教えてください。

森陰氏:サッカーは小学1年生からマラドーナに憧れて始めました。

編集部:何か思い出に残っていることはありますか?

森陰氏:数えきれないくらいあります。

編集部:是非聞かせてください。

森陰氏:まず1つ目は小学生の時に仲間外れを経験していることです。

編集部:仲間外れですか。それは意外です。

森蔭氏:私の通っていた小学校では、比較的ルールが厳しく、休み時間は各学年で1つしかサッカーボールの使用が認められていませんでした。そのため、私はいつも決まった仲間とサッカーをしていました。そんな中で、私が子どもの時からドリブルが好きで、ドリブルばかりしていました。でもそれが周りの子達からすると、面白くなかったらしく、「森蔭はいつもドリブルばかり」「パスをしない」と言われ、次第に仲間外れにされていきました。

編集部:小学生くらいだと良くありそうな話ですね。仲間外れにされたからどうしていたんですか?

森陰氏:それから1週間くらいは、当然ボールがないのでサッカーはできませんでした。当時は足が遅かったため、休み時間は親に買ってもらった重りのようなものをつけて、ずっと階段ダッシュをしていました。

編集部:小学生ながら、自分で考えてトレーニングするのはすごいですね。

森陰氏:でもやっぱり、すぐに飽きてしまいました。そこで、どうしようかと考えました。その後、職員室の前にボールが置いてあるので、職員室に1番近いクラスの子をサッカーに誘い、ボールをまずは確保しました。その子達はサッカーをやりたかったようですが、ボールも無いし、いつもサッカーをやっている子達は上手かったので、自分達から「入れてほしい」とは言いだせなかったようです。当然、サッカーを少年団でやっている私がドリブルばかりしていると取れないのでつまらなそうにしていました。当たり前なんですけどね。そこから、パスすることも覚えていき、その子達と一緒にサッカーをしていくようになりました。

編集部:なるほど。自分で考えて、学んで、色んなことを経験しているんですね。

森蔭氏:そうですね。普通、そういうのって親や学校の先生から教えられることだと思うのですが、私の場合は自分で経験して学んでいきました。


編集部:まだまだ色んなエピソードがあるんですよね?

森陰氏:はい。2つ目のエピソードは小学生ながら自分でサッカーチームを作りました。

編集部:チームですか?またまた興味深い話ですね。

森陰氏:当時、自分の所属していた少年団は、お父さんコーチがほとんどでした。そのため、サッカーの経験が全くないコーチが当たり前でした。

編集部:なるほど。今も少年団はお父さんコーチ達に支えられていますよね。

森陰氏:はい。サッカーの経験のないコーチでしたが、ダメなところを言われたり、「もっとこうしろ」と色々怒られました。当時、自分も正直言うとやんちゃだったので、むかついて軽く反論したり、練習に行かなくなったりしました。

編集部:小学生ながらコーチと衝突したんですね。

森陰氏:そうですね。私と同じようにコーチに不満を持っている仲間もいました。たまたま、私の実家は銭湯をやっていたんですが、その近所にユニフォームとかを作っている人がいたので、人数を集めて、その人にお願いしてユニフォームを作ってもらいました。チーム名も決めて、学校の空き部屋をクラブハウスにして、チームを作りました。

編集部:小学生ながらにクラブハウスまであるって結構本格的ですね笑

森陰氏:そうですね。それからは近所のチームに練習試合を申し込んで、試合もしました。自分は選手兼監督だったので、よく家に集まってミーティングもしてましたね。「何でお前が監督なんだよ」とか喧嘩もよくしてました。

編集部:チームを作って練習試合までするのは普通の小学生じゃなかなかできないことですよね。

森陰氏:そうですね。先ほども言ったように、私は人から教えられずに自分から色々と考えて、学んでいきました。小学生のうちから、そういう経験をできたのは、大きかったと思います。

「天才異端児」と呼ばれ、名門の武南高校で10番を背負う

編集部:ここからは中学生以降の話しをお聞きします。中学で武南ジュニアに進まれたのですね。

森陰氏:はい。少年団の仲間がJリーグの下部組織のセレクションを受けていたので、私も浦和レッズと大宮アルディージャ、柏レイソルと3つ受けました。ちなみに、浦和レッズは最終セレクションまで残りましたが、セレクションでは「目立つこと」が必要だと思い、1次セレクションの時に大宮アルディージャのユニフォームを着ていきました。

編集部:それは想像するだけでもかなり、インパクトありますよね?

森陰氏:まわりは当然、レッズのユニフォームでしたから、アルディージャは私だけでした。でも、セレクションで何百人っている中では、まずは覚えてもらわないと始まらないんですよね。

編集部:たしかに、覚えてもらわないとまず受かりませんよね。

森陰氏:覚えてもらったもん勝ちですね。結果的にレイソルに合格しましたが、家から通えなかったため、他の友達が進学した武南ジュニアに進学しました。

編集部:武南ジュニアやのちに進学する武南高校は小学生の時から知っていましたか?

森陰氏:その時は知りませんでした。武南ジュニアに入って、同じグランドで武南高校が練習していて初めて知りました。

編集部:武南高校と言えば、埼玉の名門校ですね。

森陰氏:はい。先輩や後輩にJリーガーも複数人います。

編集部:武南ジュニアから武南高校に進学されたのは、やはり憧れがあったからですか?

森陰氏:中学時代に良く、高校の試合を見にいってましたが、観客を沸かせるプレーや応援団から
応援される姿に憧れて、「高校サッカーってかっこいい」と思いました。

編集部:高校サッカーはかっこいいですよね。森蔭さんはどんなプレースタイルでしたか?

森陰氏:やはりドリブラーですね。これは小学生時代から変わっていません。

編集部:なるほど。練習は厳しかったですか?

森陰氏:そうですね。真夏に4時間の練習で、水を飲むことは許されませんでした。走りの練習で倒れたりする選手もいましたよ。途中で倒れたり、リタイアすると下のカテゴリーのチームに落とされてました。

編集部:今じゃ大問題ですよね。高校時代にも色んなエピソードがあるんですよね?

森陰氏:はい。とても後悔し、今でも忘れないエピソードがあります。自分達が3年生の年にインターハイは全国大会に出場して、準優勝していました。私は試合にも出ていましたし、選手権でも当然、メンバー入りしました。よく、選手達の横断幕がスタジアムにあると思うのですが、10番だった私は「天才異端児」と書いてありました。

1回戦の相手は、格下だったので控え組中心で、主力だった選手は私を含め、ベンチスタートでした。多くの主力は後半の途中から出ていましたので、私も出るだろうと思っていました。家族や友達も試合に呼んでいたので、とにかく出番を待っていました。しかし、結局名前を呼ばれることはありませんでした。試合には大差で勝利しましたが、「なぜ自分が出なかったのか」分かりませんでした。

次の日、私は学校に行きませんでした。コーチから「ミーティングがあるから、それだけでも来い」
と言われました。しかし、私はミーティングすら行きませんでした。
ミーティングの次の日に行くと、私は褒められも、怒られもせず、何も言われませんでした。
「森陰がボールを持っても動くな」と他の選手達は言われていたようです。そこで、私はBチームの
選手達とAチームの選手達との紅白戦にBチーム側で出場し、試合前にも関わらず、全力で削りにいきました。さすがに「監督からお前らいい加減にしろ」と怒られました。

編集部:なんだか漫画みたいな話ですよね。その後はどうなりましたか?

森陰氏:結局、1試合も出ないままで、浦和東高校との決勝戦を迎えました。決勝戦で1点差で負けている状況の中、後半のラスト15分を迎えたころ、あることが起きました。
スタンドで悔しい思いをしながら応援している3年生達から「Come On 森陰!」と聞こえてきました「森陰を出せ!」と訴えているようでした。1回戦で出番がなく、ふてくされたミーティングに出なかった自分を出せと言っているのです。

自分も「これで出れるはず」と思い、ひたすら出番を待ちました。しかし……出番が来ないまま、試合終了。1-2で敗れ、最後の選手権、そして高校サッカーが終わりました。表彰式でメダルをかけてもらうのですが、私はそのメダルを手に持ったままでした。

編集部:その時はどういう心境だったのでしょうか?

森陰氏:決勝で負けた悔しさ、全国に出れなかった悔しさよりも、ただただミーティングに行かなかったことへの後悔しかありませんでした。今でも忘れることはありませんし、これからも忘れることがないと思います。

プロを目指して進学、挫折から独立まで

編集部:ここからは高校卒業後の話しをお聞きします。高校卒業は専門学校に進まれてますね。

森陰氏:新潟にあるジャパンサッカーカレッジに進学し、プロを目指しました。全国大会も出場し、Jクラブとの練習試合も経験しました。

編集部:プロと試合できるのは良い経験になるでしょうね。

森陰氏:ブラジル選手達もいましたが、とにかく異次元でした。普通なら足が出ないところで、足が出てきて、触れるかどうかの差でゴールを決めてしまう。そんな選手達とのレベルの違いを肌で感じました。

編集部:その違いを感じた時、どう思いましたか?

森陰氏:自分の努力でどうにかなるレベルではないと正直感じました。それで、プロを目指すのをやめて、埼玉に帰ることにしました。

編集部:埼玉に帰ってからは、某サッカースクールに就職されてるのですね。

森陰氏:初心者向けのサッカースクールでコーチを3年半ほどしていました。20歳で埼玉支部の責任者にもなりました。

編集部:20歳の若さで責任者ですか。これも普通では考えにくいことですね。その後、独立されてのですね。

森陰氏:そこのスクールを運営する会社は色んな意味で良かったです。保護者対応なども学びました。その後、独立を決意しました。

編集部:どのようなサッカースクールだったのでしょうか?

森陰氏:最初は私の前職のスクールを真似したような、スクールでした。
しかし、上手く行かない日々が続き、友人に相談したところ「お前にしかできないことをやれ」と
言われました。それで目が覚めました。「自分にしかできないこと、ドリブルだ」と気づきました。

そこからドリブル塾を立ち上げ、知り合いのスクールに何度も頼み込んでいたところ、サッカースクールが他のスクールのチラシを配るという異例の協力を得ながら、徐々に生徒が集まりだしました。
そして、DVDスクールもあります。

編集部:今では、埼玉の各地、東京の江戸川でもスクールを展開されてますね?

森陰氏:今は、スクールも10校に迫る勢いでスクール生も200人を超えています。

編集部:次に次に展開されてますね。森蔭さんが指導者として大切にしていることは?

森陰氏:「指導者、近所のお兄さん、お父さん」この「3つの顔」を使い分けることです。

編集部:3つの顔ですか。指導者として色んな要素を持つ必要があるということですね。

森蔭氏:そうですね。子どもとの接し方は常に意識しています。

編集部:森蔭さんを含め、コーチ陣はみんな金髪や茶髪ですが、それについてはどう思いますか?

森陰氏:最初は親御さんも子ども達も皆ビックリしますよ。指導者としても金髪はほとんどいないと
思う。でも、上手くいってるし、スクール生も増えています。

編集部:では、指導をしていてのやりがいを教えてください。

森陰氏:子どもが変わった瞬間を見れること、そして親御さんから拍手をもらえることです。
多くの親御さんの前で話しをさせてもらうこともありますが、拍手って心が動いたり、意識しないと
できないことだと思います。だから「拍手されるっていいな」って思います。

編集部:R.W.Sドリブル塾でどんな子どもを育てたいですか?

森陰氏:海外で活躍できる選手、そしてそのメンタリティを持った選手を育てたいですね。

編集部:では今後の目標を教えてください。

森陰氏:短期的な目標はDVDスクールも含めたスクールの拡大です。そして、長期的な
目標としてはサッカー指導者の価値を高めることです。

編集部:サッカー指導者の価値を高めるとは具体的にはどんなことでしょうか?

森陰氏:今のサッカー指導者は給料も高くなく、社会的に見てもまだまだの地位だと思います。

例えば、彼女の親から「え、彼氏がサッカーのコーチの仕事なの?結婚できるの?」と思われること
があると思います。けど、それを「サッカーの指導者が結婚相手なら安心だね」と思われるように
していきたいです。そのために、他のスクールへコーチ紹介などもしています。

結果が出るか分からないことにどれだけ行動できるか

子ども達にドリブルを見せる森陰氏

数多くの質問をした中で、森陰氏はこんなことを言っていた。
「成功できるかどうか分からないことに対してどれだけ行動できるかどうかが大事」
これはサッカー選手を目指すことも同じ。「プロになれるかどうかなんてわからない。でもそのことに対して、本気で行動して努力し続けた人がプロになれるんだと思う。」森陰氏はこう語った。

そして、森陰氏にドリブルとは何か?と尋ねると同氏は「今は自分が生きていくためのツール」と
答えてくれた。

編集部:では最後に森陰修平とは?

森陰氏:「職業ですね」

今後のR.W.Sドリブル塾の発展と森陰氏のさらなる活躍に期待したい。

R.W.Sドリブル塾

http://r.goope.jp/rws-doribururoom

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