■2002年に広島ユースに入団
2002年に広島ユースに入団した前田俊介。同期には現浦和の森脇良太やFC東京の高萩洋次郎などがいます。
入団当初は主にトップ下でプレーしていたものの、次第にストライカーとして頭角を表すようになります。2003年のJリーグユース選手権大会で広島ユースを優勝に導き、大会得点王になりました。
■伝説のボレーシュート
Jリーグユース選手権大会、準決勝のセレッソ大阪U-18戦で、後方からのロングフィードをダイレクトで叩きこんだランニングボレーシュートは、映像が全国放送のテレビニュースで使用されるほど素晴らしいゴールでした。動画はこちら
■2005年にトップチームに昇格
2005年にトップチームに昇格すると同年に行われた「2005 FIFAワールドユース選手権」の日本代表に選出されます。
オーストラリア戦ではグループステージ敗退寸前に追い込まれたチームを決勝トーナメントへと導く貴重な得点を挙げました。
■2007年に大分に期限付き移籍
2007年、佐藤寿人、ウェズレイの存在に加えて平繁龍一の台頭もあり、広島での出番を得られなると低迷していた大分トリニータに期限付き移籍。大分では試合に出たり出なかったりとレギュラーを確保するまでには至りませんでした。
2009年にはウェズレイ、森島、高松らの怪我で期待されるも運動量の少なさから前半での交代や、FWの人数が少ないにもかかわらず打開力のあるMF金崎夢生のFWのコンバートが優先され、ベンチ入りも叶わないなど苦悩の日々が続きました。
その後、期限付き移籍でFC東京に移籍、2011年に大分に復帰するとリーグ戦ではシーズン最多8ゴールを挙げる活躍をしました。
■2012年にコンサドーレ札幌に移籍
2012年にコンサドーレ札幌に移籍。シーズン序盤こそ活躍するも7失点を喫した第12節の鹿島アントラーズ戦で負傷退場を最後に出場機会が激減。チームも降格しました。
しかしJ2に降格した後は2年連続で30試合以上に出るなど出場機会に恵まれました。
前田俊介選手のプレー集をご覧ください。
現在は...
2016年1月6日、前田選手はコンサドーレ札幌からJ3に所属するガイナーレ鳥取に移籍が決定。現在もプレーを続けています。
4/30日に行われたグルージャ盛岡戦では超絶FKも披露!
札幌在籍時に監督だった石崎信弘をして「あいつは天才じゃろ」と言わしめる高度な技術を持つテクニシャンでありシャルケに所属するDF内田篤人選手は、以前ゲスト解説として札幌の試合を観戦した際に「僕は生まれ変わったらああいうサッカープレイヤーになりたいです。天才肌の」と前田選手に対して発言しています。
その一方で、運動量が少なく、守備を不得手とする選手としても知られ、監督から干されることもしばしば。このプレースタイルもあってか、「才能」を持ちながら、なかなか開花しない前田を揶揄した「前俊を諦めない」という言葉が生まれています。
現在ガイナーレ鳥取でプレーをする前田俊介選手。鳥取をJ2昇格に導き、サッカー界を盛り上げてほしいです。
プレミアリーグ好き